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2004年のイラクでの物語。
主人公は、テロ組織が仕掛けた爆弾の処理班の軍曹。
私は、二つの印象を受けました。
一つ目は、アメリカの世界における覇権主義、軍政支配の終焉が描かれていて、要するに強いアメリカはもうなくなったという映像。過去の話だということです。
アメリカは、この数百年の間、政治や経済を支えるために、常に戦争を仕掛け続け、戦争中毒の歴史を繰り返してきました。世界でダントツに戦争を仕掛けた国家です。
アメリカは、全世界の60%の軍備を誇っています。アメリカ国家を維持するためには、その兵力を維持し、兵器を消費し、兵器産業を維持することが要件でしたが、国家の経済がそれをもう許さない状況にあります。
ソビエト共産主義体制が崩れ、敵国がなくなると、今度は9.11で自作自演の「敵」を捏造して、石油の利権を確保する目的もあって、イラクに侵攻しました。
しかし、イラクの現場で起きていることは、この映画がよく物語っていると思います。
この映画では「敵」が見えない。常に見えないテロ組織と戦い、戦う目的も分からない。
戦う相手を見失ったアメリカは、今度は狂気に満ちた意味不明の戦いの泥沼に嵌まってゆきます。
2004年時のアメリカの「現実」が、イラクの現場を通してよく理解させてくれた映画だと思いました。
二つ目は、「今を生きる」という感覚をこの映画で学びました。
どこに敵が潜んでいるのか、どこから銃弾が飛んでくるか分からない中で、いつ爆発するか分からない目前の爆弾を処理する緊張感、恐怖。巧妙に仕掛けてある起爆装置。隣にいた戦友が瞬間被弾して即死する。目前で爆弾が炸裂して仲間が吹き飛ぶ。明日の自分の命もサイコロの目が出るように不確か。
そのような恐怖、ストレス、苦痛、地獄の日々を、防爆服を脱ぎ捨てて、爆弾の信管を外す作業を続ける命知らずの軍曹の心理、いや人間としての普遍的な真理が描かれています。
彼は、39日間の任務を終えて、平和で平凡な妻子のいる家庭に戻ります。
一歳の子どもにおもちゃを与え、喜ぶ顔を見て彼は言います。
「お前もこの年になっておもちゃがブリキで出来ていると分かったら・・」楽しくなくなるだろうというようなことを言います。
そして彼はまた志願して、緊張と不安と恐怖の現場に赴任して行きます。その道を彼はあえて選んだ。敢えて
私は、昨年あるセミナーで、有名な登山家の話を聞きました。
彼は、妻を含めて登山仲間を今まで53人失っています。ホンの一瞬、偶然のタイミングで、自分が助かり、目の前で仲間3人が雪崩に巻き込まれて死んでゆくなどなど体験しています。
でも彼は言いました。
「なぜ登山をするのかと聞かれるが、生きていることが実感できるからだ」と。
多くの人々は、日常性の中に埋没して生きていて、それが安心だからと思っている。
その安心と考えている領域がはたして、自分の心の中に何を生み出しているのか、人生においてどのような意味や価値を生み出しているのかをあまり振り返ろうとしません。そして不満だらけの人生だという人も結構多い。
しかしある人間は、その安心領域を抜け出し、飛び出した時に得られる、ある種の快感を手に入れると、もう戻れなくなるのかも知れない。
私は、学生時代に自殺願望と不安神経症に悩まされ、学業を放り投げて親不孝をし、ヨーロッパ、中近東、インドを放浪していたことがあります。現実世界を超えた、何とも言えない広い世界、解放された世界がありました。
その体験をしたあと、私は一介の医師として働き続けてきましたが、自分の世界においては、まだ社会復帰ができない人間でいるような感覚があります。
いや、この映画の主人公のように、飛び続けることができなかった自分がいるだけなのかも・・。
飛べたことが幸せか不幸か分からない。しかし一度飛んだら飛び続けないと不幸なのかも知れない。
多くの人々はもし飛べたら・・と考えている。しかし多くの人々は飛ぼうとしない。飛ばない。
不思議だ。
とにかくまた飛んでみるか・・。この主人公のように。
どんな状況でも状況のせいではなく、自分のせいで生きるために。