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納棺師の映画です。チェロ演奏者だった主人公が失業し、ひょんなことから納棺師になります。遺体が火葬されるまでのわずかの時間、生前の美しさまで、いやそれ以上に美しく着飾りメイクして行きます。
さまざまな死と向き合い、死に行く人々と残される家族との濃厚な人間ドラマが展開されます。死んだ時がその人の人生の総決算だとすると、納棺師はその凝縮された時間の一人の演出者ともいえます。
人は必ず死にます。しかし不思議なことに、ほとんどの人々はそのことを意識して生きていない。生きている時間を粗末にしている。
私は、ある程度死を意識して生きることを考えてきたと思っていましたが、この映画を観て、自分が遺体になった時のことを強烈に想像し、改めて生き方を考え始めました。
また最近映画『ベンジャミン・バトン』も観ました。80歳という高齢の身体で誕生し、年を経るに従って若返り、最後は赤ん坊になってこの世を去る運命に生まれた男の一生を描いた作品です。 人は身体的に年を経て老化しこの世を去ってゆきます。しかし彼は、時間を逆に生きて行く。進む方向が真逆なために、すれ違う速度が速く、つまり人々と別れる速度が速く、それだけ多くの人々との離別を体験します。
生きるということはある意味で離別を体験することでしょう。だから時間を未来からみて、離別があるとするとその間どのように生きたいのか。 人は死をあまりにも意識しなさすぎる。もし死期を意識したら生き方は雲泥の如く違う生き方をするに違いないと思います。
この2本の映画、機会があったらぜひご覧ください。
火葬場の職員(正吉(笹野高史))が穿ったことをいいました。死は門で、自分は門番なのだと。みな旅立ってゆき、また会うのだと・・。そう考えると人生における出会いも少しは変わるかも知れませんね。