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私は、東京で生まれ、3歳の時に函館に移り住みました。
私の人生のはじめの記憶・・。
「あの映像」は、おそらく青函連絡船の三等船室と丸い窓だったにちがいないと思っています。
その次は、弟の誕生の時の湯船、そして幼稚園の廊下・・。
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今日、銀座を歩いていたら、和光のそばにある模型店のウインドウで青函連絡船の模型が陳列されていて、ディスプレイで当時の映像が流されていました。浪人時代、学生時代は飛行機もまだなく、私は夜行列車と青函連絡船で東京とふる里函館を行き来していました。
遠い記憶が折り重なるように脳裏によみがえり、郷愁を感じ、人生を感じました。
「旅」とは日常性から離れ、人生において新しい体験をすることだとしたら、歩きなれた銀座の街角で、タイムスリップして過去の時間を再び体験して、人生を振り返ることも、一瞬かも知れないけれど、それも「旅」と言えるのかも知れない。
さらに考えれば、人生そのものの流れ、出会いと別れなどが旅と言えるのかも知れません。
人生を、日常性の連続と感じて生きるのか、旅の連続と感じながら生きるのでは、人生を感じ取る奥行きがそれだけで変わってくるように思いました。